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WE LOVE SOY SAUCE.
ひしおとは
醤油・味噌のルーツ。
国のはじまりとともに
歩んできた 醤(ひしお)。
「醤(ひしお)」は、奈良に都があった時代に、古代中国を発祥とする発酵調味料から大きな影響を受けました。魚や肉、海藻など様々なものを原料とする醤(ひしお)がある中、穀物と塩で造る「穀醤(こくしょう / こくびしお)」は、現在の醤油や味噌のルーツと言われています。
のちに独立して「醤院(しょういん / ひしおのつかさ)」と呼ばれ、醤(ひしお)の生産や管理をしていたことが記されています。
木簡に記された
奈良時代の醤(ひしお)。
奈良時代に入ると、聖武天皇は仏教に帰依し、諸国に国分寺・国分尼寺を建立、総国分寺を東大寺とし、その本尊に昆廬舎那仏(大仏)を造立しました。さらに光明皇后は「写経所」を設け、最大の仏教興隆事業を行うと、その厳重に精進が守られた「写経所」に従事する人々に与えられた食品に醤類があります。
中でもタンパク質補給として消費されていた穀類と、それを原料とした穀醤「(こくしょう / こくびしお)」は、写経所が作成した文書群が圧倒的に多い『正倉院文書』に極めて豊富な記録を残しています。
また唯一、穀醤の醸造月日が記された『二条大路木簡』も発見されており、奈良時代は醤の充足、発達期の舞台だったことがうかがえます。
万葉集にも詠まれた醤の美味しさ。
『万葉集』は天皇から一般庶民に至るまで、様々な階級の人の歌が4,536首収載されている日本最古の和歌集です。生活に密着した食材や、調理法を詠んだ歌、また食べ方を詠んだ歌があり、当時の生活や食の貴重な史料でもあります。その中に、穀醤(こくひしお)を詠んだ歌があります。
醤酢で鯛が食べたい!
原文:『醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水ク乃煮物』
我れにな見えそ
酒と塩、酢の味しか知らなかった古代の人が、万葉の時代に新しい味「醤(ひしお)」を加え、その後の日本人の味覚の基盤となっていくのです。
『なら食』研究会 横井啓子先生監修
文献を読み解き奈良時代の穀醤を再現。
食文化を研究されている『なら食』研究会の横井先生は、奈良の醤油の特異性に触れたことで、醤油のルーツとされる「穀醤」の古代の製造法について研究・試醸を続けてこられました。実に6年の歳月を費やされました。
『なら食』研究会 横井啓子 先生
昭和52年に移り住んだ奈良で「奈良の食」について独自の研究を続ける中で、世界最古の農業技術書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に出会い、古代の穀醤の作醤法について研究されてきた。 奈良の食文化や醤(ひしお)、醤油など、多数の講演活動も行っておられます。2011年9月30日 第1回『醤油地域貢献賞』受賞(日本醤油協会)
「古代ひしお」は、
麹菌が生きています。
奈良県醤油工業協同組合の「古代ひしお」は、麹菌が生きています。温かい場所に置いておくと発酵が進みます。
美味しく味わっていただくため、冷蔵庫での保存をお願いしております。
冷蔵保存している場合でも、開栓時にポンッと音がすることがりますが、それは麹菌が生きている証です。